中央院二世住職加藤金翎師が兼務し開山となって、白老町字竹浦二三四番地(当時は敷生村)に刀根龍珠師を出張させ伝道に当たり、仏事法要を執行した。
当時戸数増加の現在地に説教所を設置。
刀根龍珠師遷化
二世坂野禹門師着任、敷生説教所として公許を受ける。
開山加藤金翎師、中央院で遷化。
二世坂野禹門師遷化
三世加藤賢雄師が三世住職となる。
本堂並びに庫裡を工費総額約五万円で新築。新築に当たり近郷の集落は現竹浦駅近くに転居したが、加藤常治、相吉松吉の両総代が中心となり、よく住職を扶け現地に建立することを決心した。
三世加藤賢雄師が四十八歳で遷化。以後、時水仁翁師が代務者となる。
寺号公称 鳳龍山禅照寺とする。
宗教法人として認可される。
加藤信雄師四世住職となる。
納骨堂を建立し、正面に開山堂を設ける。
集中豪雨による敷生川の洪水で庫裡全壊流失、本堂半壊の大損害を受け、住職、寺族、檀信徒共々茫然自失の中に再建復旧を決意する。
禅照寺護寺会設立
庫裡再建、本堂復旧工事を竣工
三十三観音像を本堂に泰安
梅花講認可
納骨堂建立
本堂竣工
婦人部設立
新納骨堂霊光殿竣工
鐘楼堂完成
庫裡建設竣工、前庭造園工事完了
禅照寺開創百年慶讃大法要を厳修
山門建立
加藤泰久師が五世住職となる。
禅照寺開創百二十周年大法要並びに晋山結制を厳修
加藤信雄師、東堂になる。
五世年回法要並びに霊光殿増築落慶法要